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斜線のなかみ

都会の狐とタイムマシーン

奇妙な体験をふたつ。

数日前、バイトを終えて私は中野に向かっていた。正確には中野セントラルパークという場所に向かっていた。

<駅から徒歩3分。中野ブロードウェイに行く方の出口。だいたいの方角。>

それだけを頭に入れて駅から歩き出した。多分大きな商業施設だろうし、駅から近いし中野には何度も来た事あるし、すぐに着けると思っていた。

余裕をかまして私はまずドラッグストアに入り、ソフトコンタクトの上からさせるドライアイ目薬を購入した。

その店は出入り口が2つあって、私はなんとなく、入ったのとは違う出口から外に出た。

そしてだいたいの方角へ歩き出した。路地にはいかがわしい感じのお店や客引きが居てゴミゴミしており、新宿に近い場所であることを思い起こさせた。

小さな飲み屋も充実していて、それらを眺めながら歩いていくと大通り沿いの商店街に出た。

ここで既視感が私を包む。「何かおかしい」そう思いつつも自分の信じた方角に歩みを進め、ふと顔を上げると目の前に中野駅があった。

黄色いラインの入った電車が停車している。総武線である。看板にはJR中野駅。私は目を疑った。さっき出て行ったはずの駅だった。

どうやら私は北口を出て路地に入り、いつの間にか南口にたどり着いていたらしかった。

ただ私が異常に迂闊で方向音痴なだけなのはわかっているんだけど、そびえ立つ中野駅があまりに衝撃的で、たぶん狐に化かされたらこんな感じなのではないかと思った。

 

もうひとつは、私のバイト先でのことで、仕事内容をイチから説明しないと伝わらないので割愛。

忙しすぎるため仕事を未来に回すことになって安心し、「おかげでちょっと気が楽になりましたよ〜」と言った直後にその未来が自分の出勤日だと気付いて絶望したという。

時間旅行モノによくありそうな、未来の自分に借金させるような話。

アンクル・ニッカ

私はお酒が好きです。

ひんやりしたフローリングにぺたりと座って。二人掛けのソファで恋人にしなだれかかりながら。やかましい安居酒屋で下ネタを言い合いつつ。薄汚いライブハウスの爆音の中で。

思い出は色鮮やかにも霧に包まれたようにも、スローモーションにも倍速にも変じる。アルコールに潤んだ瞳に映る光は大抵美しいけれど、私の記憶は薄闇が大半を占めている。

18歳になってすぐ、私は初めて恋らしい恋をした。

ひと月で5キロ痩せ、ロクに身につけたことのないスカートをはき、化粧をした。彼は7つも年上だった。彼となるべく長く一緒にいるためにお酒を覚えた。

一夜に一杯。今夜は二杯。自分の上限を知るためだった。やがて一夜に七杯を越えた頃、私は数えるのをやめた。

自分が飲める体質だと知ってからは本当に楽しかった。飲めば飲むほどみんなに可愛がられた。今までの暗くて人見知りな自分が嘘のようだった。何次会まで行ってもどれだけ飲んでも翌日に残らなかったし吐いたこともほとんどない。

だから私はお酒を愛したしお酒に依存した。飲まないと喋れないからいつもお酒を持ち歩いた。それがポケットサイズのブラックニッカ。おっさんかよ。

安いウィスキーをストレートで飲むもんだから胃をやられた。常に胃が痛くてジュースも飲めない時もあった。それでもニッカのおっさんを私は愛してた。どんなに痛めつけられても最初の一口には甘みと豊かな香りがあった。

だけど当時付き合っていた彼氏の肝臓の病気がわかってから、冷や水を浴びせられたように飲むのをやめた。半年は飲まなかったと思う。

だけど結局またお酒を飲むようになった。

打ち上げのあと肩を組んで歌いながら駅前を歩いたし、缶チューハイを飲みながら公衆トイレでキスしたし、ワイン瓶片手に線路の枕木を跳んだ。

東京の街を泣きながらさまよった夜もある。忘れられない。忘れられるわけない。

忘れられないよ。

ライオンと魔女

昨日、友達から手作りの洋服を買った。

麻製で藍染めのワンピース。お店で買うよりも遥かにお手頃な価格ではあったけど、私は普段3、4千円の安服か数百円の古着ばかり着ているから、購入するには少しだけ勇気が必要だった。

友達の手作りであること。植物の繊維に植物の染色であること。試着したときの快い感覚が忘れられず、購入を決意した。

大学を卒業したあたりから、お店に売っている若者向けの服にあまり興味が持てなくなっていた。きっと本当は年齢的に、もっと高い服を選ぶべきなんだろう。だけどブランド物なんて買えないし、買うために貯金する気も起きない。

同年代の女の子にそういう話をすると大抵肯定してもらえるから、多かれ少なかれぶつかる壁なのかとも思う。

(バリバリ働いて稼いで好きなファッションをしているような知り合いがいないというのもあるけれど。)

とはいえ20代も後半になっていつまでもワンシーズンでダメになるような服ばかり着ているのも侘しい。もっと大事にできて長持ちする服が欲しい。

手作りの服を買うことをきっかけに、今までなんとなくあったその思いを実行したくなった。

お金はやはりあまりかけたくないので、古着屋をもっと真面目に見てみようと思った。バカみたいに安いものじゃなく、少しいいものを。

そんな風に思いながらなんとなく入った古着屋では店員の女の子と仲良くなり、たくさん話しをした。音楽のこと、ファッションのこと、お化粧のこと。目線が変わると出会う人も変わる。楽しい時間だった。

私は今年の目標に「うつくしくなる」と掲げている。好きな服を気兼ねなく着られるようになりたいものです。

気持ちを切り替えるきっかけになってくれた友達に感謝。早くあのワンピースに合うアクセサリーを探しに行きたい。

 

ゼライス

心がゼリーみたいになるときがある。

触れられるだけでぷるぷる震え、なんでもない言葉でも刺さってそこから崩れ出す。

そんな時はSNSが苦痛になる。twitterは最たるもので、次々に色んな人の言葉が流れてきて止めどない。

普段ならタイムラインは可愛い小川みたいなもので、眺めたり光の反射に目を細めたり、ちょっと入って遊んでみたりできるけど、ゼリーの時は難しい。

流されるし溶けるし小石でも怪我をする。わかってるのについ見てしまって、結局傷だらけになって落ち込む。

twitterは面白い。知人友人だけをフォローしていた前のアカウントを消して、リアルの友人をほとんどフォローしないアカウントを作ったのが2012.4.25…って今確認して驚いたんだけど今日で丸1年じゃないですか。

(そして昨日の夜5000ツイート突破…区切りもいいし潮時なのかもなあ。)

まあその1年の間にフォロワーさんも200を越え、流れてくる呟きには色んな事を考えさせられました。

想像もできない他人の生活を垣間見たり、思いもよらない感じ方に驚いたり、納得いかない発言だってたくさんあった。

私はそういう雑多で、でも書き手にとっては真実に近いような、数えきれないほどの言葉から考えるきっかけをもらっていたのだと思う。

(少なくとも私は、本音を呟いていそうな方々をフォローしていたので。)

私の投稿の内容は、「日々の暮らし」と「考えを整理するための手がかり」の二つがメインだった。

何故自分の考えを整理するのにSNSを使うのか。私にも判然としない。だけど、誰かが読んでくれているという前提は考え事をするのに役立つらしい。

(私は元々話し相手がいないと考えがまとまらないタイプで、しかし私の前後したり飛躍したり回ったりする思考をそのまま長々と黙って聞いてくれる人なんていないし、むしろ話している内に申し訳なくなって卑屈になってしまう。)

それから「お気に入り」というシステム。私は世間的に「言わない方がいいだろうこと」を思い切って投稿することがままあって、それに幾つか「お気に入り」をもらえると、それだけで救われたような気持ちになった。とはいえ「お気に入り」が必ずしも肯定の意味ではないこともわかっているし、「言わない方がいいだろうこと」は人を傷つけることだってある。というか実際あった。

自分もそうなのだけど、少し弱っている時などは関係ない発言も自分を攻撃しているように思える時がある。最初に書いたようなゼリー状の時なら尚更。

それをわかっているのに考えたことを書きたいし書いてしまう。

納得いかない発言を見つけてそれに対して書きたいときなどはどうしたらいい。私は投稿者を攻撃したいわけではなく、その発言自体について考えてそれをまとめたい。

安易に呟いては誰かが傷つく恐れがある。(それに逆に攻撃されたらこわい。)

でも考えたいし書きたい。私にはそれが必要だ。

と思ったのでブログを開設してみました。面倒くさがらないでちゃんと考えを書ける場になればいいと思います。

そして平和に今のアカウントを維持していきたい。ネット上でこんなにも人と関われたのは初めてで、お別れしたくないので。

 

あとゼリーといえば、過去に「グリーンのゼリー」というとても短くて少しエロい話を書いたんだけど、あとから調べてみるとグリーンゼリーは産み分け(女の子)に使うものらしく、それから別件でオカモトのページがヒットしたりで、人間のイメージって面白いなと思いました。ちなみに「グリーンのゼリー」はHPの「PIECE」から読めます。

http://nanameline.jimdo.com/