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斜線のなかみ

共鳴の塔

『共鳴の塔』。10年以上前にそういうタイトルのファンタジーを書こうとしていたことを思い出した。砂漠と赤土ばかりの荒廃した大地。巨大な2つの塔が世界を支配していて、その秘密を探りにいく物語、という大枠しか考えていなかったけれど。その当時松本大洋の『ナンバー吾』を読んでいたから憧れていたのかもしれない。超能力のある双子の子供を登場させたいと思っていたし。あと主人公は絶対バイク乗り。

まあそんな中二っぽい思い出はさておき。「共鳴」や「共振」という言葉が、昔から私の中によく現れていることに気付いた。もっと日常的な言葉で言えば「共感」になるだろうか。

私が初めてファンになった人間はBUMP OF CHICKEN藤原基央さんで、それこそ私は中学二年生だった。当時の彼はハタチそこそこでデビュー直後だったはず。『天体観測』も出る前で周りにそのバンドを知っている人もおらず、私は友達にラジオを録音したテープやら誕生日に買ってもらったCDやらを貸し出しては熱弁をふるい、日々布教活動をしていた。『天体観測』がヒットしてからは彼らの媒体露出は増え、おかげで雑誌を買い漁ることとなる。雑誌でインタビューを読んでいると、いつも彼は孤独で苦しそうに見えた。今では彼の「名言」とされるようなエピソードひとつひとつに、私は「わかるよ」とか「言葉にしてくれてありがとう(私も思ってたよ)」って言いたかった。いつも理解者になりたかった。どんどん売れてマナーが悪かったり狂信的なファンが増えていく中で、私だけは真っすぐに彼のことを見ていたいと思っていた。(私が一番気持ち悪いですねごめんなさい)

このように、私が最初にすごく好きになった人間に対して望んだことは「わかってあげたい」だった。その後も二次元三次元問わず色んな人(キャラクター)を好きになったし、高校を出る頃までには「才能ある人の援助をしたい」という漠然とした夢を抱くまでに至っていた。創作意欲はあるけど気難しい子たちを外に連れ出したり、地元のバンドの集客に貢献できるよう活動したり、実際になんとなくでも行動に移してはいた。しかしその間、自分もバンドをやったり物語を作ろうとしていたわけで、結局は自分が一番になりたいのだと、気付いてしまった。そうなるともう援助どころではない。気難しい人々と関わるには自分が我慢しなければならないし、成功したとしても自分に目が向かないからつまらない、そんな風に思うようになってしまった。

どうやら私が望んでいたことは、「わかってあげたい」じゃなくて「わかってることをわかって欲しい」だったのだ。(「君だけがわかってくれる」も甘美だけれど、それはまた別の話。)

好きな音楽や絵を作る人たちと話をしてもずっと埋まらない溝があった。いつでも私がお客さん。それは自分自身がバンドをやってみたり本を作ったりしても変わらなくて、もしかしたら男女の違いなのかもしれないとたまに思ったりする。私はとても女っぽい人間だし。まあとりあえず人に認められるほどの功績がないからだと信じて続けていくしかない。とにかく私の一番の望みが「深く共感し合う」ことである限り、私が他人が作った作品に求めるのは「わかる」か「わからない」かが中心となるし、自分が作る立場になるときも「わかってもらいたい」という気持ちを忘れてはならない。それは媚びるのとは全然違って、さらけ出すことと着飾ること両方を自分の信じるバランスで行うことなのだと思う。

以上が最近何のために物語を書くのか迷っていたから考えてみた結果。娯楽作品大好きだけど自分がやろうとするのは当面無理だと思う。やっても中途半端になっちゃう。もっとギリギリと掘り下げてみないと。残したい風景があるんだろ?って、何度も自分に呼びかける。

 

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おしらせです。

2年ほど前に作った『やさしくない物語』という本をネット上に公開しました。「ドッペルゲンガー」「悪魔」「呼び水」「火星」「ジャム」というタイトルの短いお話(ショートショート?)が5本入っています。

やさしくない物語 - 斜線 | ブクログのパブー

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