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斜線のなかみ

いのちの記憶

4月に、自身の妊娠が発覚した。

その時は妊娠6週目で、つわりは2週間前から始まっていた。翌日の出勤を最後にアルバイトの無期限休暇をもらい、その翌日からはほぼ寝たきりの生活を送った。

通院以外の用事で出掛けられるようになるまで約2ヶ月半かかった。その間にしていたことと言えば妊娠初期向けの雑誌を読むこと、ネットで妊娠に関する情報を検索すること、軽めの内容の小説やエッセイを読むこと、DSでRPG(MOTHER1+2、ドラクエ9)をプレイすることくらい。それすらできない時や眠れない時、いろいろなことを考えた。

ほんの少し前までは子供なんて欲しくなかった。生理的な嫌悪感もあったし、もっと自由でいたかったから。しかし結婚して5年、私の年は27。二人で過ごす時間は楽しかったけれど新鮮味に欠けたし、私個人の活動も行き詰まっていた。何をしたいのか、何ができるのか、何をすべきなのか、まるでわからなくなっていた。ただ飼い猫のように夫に頼り、楽に無為に過ごしてきたことを実感した。妊娠とわかるまでの2週間の体調不良は私の不安に拍車をかけた。何事にも弱気になり、八方塞がりだと感じた。

しかし、子供ができた。最初は実感がなくぼんやりしていたのだが、出産予定日が年内だとわかった途端スイッチが入った。考えるべきこと、決めなければならないことが山ほどあった。しかもそれは出産までの道のりではなく、子供を一人前の人間に育てるまでの道のりなのだ。まあ今の所具体的に考えているのは5年後くらいまでだけど、それでも目的もなく日々を消費していた頃とはわけが違う。何が必要なのか、お金はどのくらいかかるのか、どこで産むのか、という直近の問題や、車が欲しい、子供が就学する前に家を買いたいなどの希望。そのために私がいつ頃からどのような仕事を選んで働くか、そんなこと今まで考えたことがなかった。私は私のために生き、楽しければそれでいいと思っていたからだ。

だけど私は芸術家にはなれなかったし、多分なりたくもないということに気付いてしまった。そして社会に認められていない自分というものを持て余していた。時には強い言葉で社会を否定しながらも、結婚という社会的契約を隠れ蓑にして、いつも楽をしている自分を恥じていた。

だからこそ、子供は光だと思った。目標があるから道が見えるし、計画が立てられる。生きる希望が持てる。人間の在り方としてとてもとてもスタンダードだ。親族や友人知人に祝福され、素直に嬉しいと思った。女に生まれたからには結婚して子供を産んで、それなりに働くことができれば大いに社会に認められるだろうと、安心した。

同時に、社会に人質をとられた、とも感じた。もう、身一つで逃げ出すことはできない。今までは都合良くお世話になってきたけれど、いよいよ振り回されなければならないだろう。出産育児関連だけでなく、意識を持って政策を見れば暗雲ばかりが立ちこめている。地に足をつけ、しっかり目を開いていなければならない。

 

今、妊娠19週目。もうすぐ6ヶ月目に入る。日に日にせりだしてくるお腹、時折感じるポコポコとした微かな胎動。もうね、いろいろ書いたけど、かわいーんですよ!ひたすら愛しい。夫も理解あるし家事できるし優しくて最高!これから大変なことがクソほどあるんだろうけどとりあえず私しあわせです!ありがとう!

 


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