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斜線のなかみ

圧倒的他者の小宇宙

先日、詩人の谷川俊太郎さんと歌人穂村弘さんによるトークライブに行ってきた。作品の朗読だけでなく、お二人の飾らない対話にも楽しませてもらった。

その対話の中で谷川さんがこの日のイベントタイトルでもある『あなた』について言及したのが印象に残った。

「『あなた』という存在を認識したのはいつ?」

という質問から始まり、子供の頃は常に自分対世界であり、『あなた』というような特定の他者を認識することはなかった。強いて言うなら結婚してからだろうか、というような結論に至っていたと思う。

自分の親兄弟*1などとの、ある意味受動的な共同生活ではなく、自分で選んだ一人の人間と寝食を共にすることで『あなた』の存在を実感できる…確かにそんなもののような気もする。

では私の場合『あなた』を知ったのはいつだろうか。それは誰だろうか。

私は自意識が強く、というか自意識が強いということを強く意識している人間である。自己愛とも呼んでいる。自分が自分を愛していることは揺るがないし、その愛を成就させるために全ての行動があるとすら思っている。自分が絶対的な個であるので、自分以外のものは全て『世界』と呼ぶしかない。私は素面の場合1対1で会話するのを好むが、酒の席の場合は大人数が楽しいと思う。対峙する世界は凝縮された1点である方がわかりやすくて良い。曖昧な認識で構わないなら色々味見してみたい、というところか。私は他人のどのような行動も全て自分の鏡として考えてしまうという傲慢な癖を持っていて、それは『自分と同等の他者』というものの存在を感じにくい性質を表していると思う。

親兄弟友人知人が『あなた』ではなく世界の一部だとして、過去に恋した男たちや、今愛情を持って接している夫はどうだろうか。それは『あなた』にとても近い存在である(あった)ような気はする。しかし決定打はない。自分という絶対的な個に対応し得る個。そんなものが存在するのだろうか?

そして自分の腹を見下ろして思う。居た。自分の一部であり、栄養だけでなく感情までも共有していると言われており、その上自我を持つ存在。妊娠初期の頃はエイリアンに体を乗っ取られたと思っていた。世界がまた私に何か仕掛けてきたと。しかしもうすぐ妊娠後期に入ろうとする今、名前も決まり世界に座席を用意されつつある現在は奇妙な繋がりと隔たり、その両方を感じている。まさに圧倒的他者の小宇宙!これから生まれる子どもは、私にとって『あなた』としか形容できない存在である。

だけど生まれてしまったら、きっと世界の一部になってしまうのだろうな。私の可愛いあなた、現在約千グラム。

*1:お二人とも一人っ子だそうで、それも他者の認識を遅らせた要因かも、と言っていた。私には兄弟がいるが、あまり影響しないように思う