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斜線のなかみ

ゼライス

心がゼリーみたいになるときがある。

触れられるだけでぷるぷる震え、なんでもない言葉でも刺さってそこから崩れ出す。

そんな時はSNSが苦痛になる。twitterは最たるもので、次々に色んな人の言葉が流れてきて止めどない。

普段ならタイムラインは可愛い小川みたいなもので、眺めたり光の反射に目を細めたり、ちょっと入って遊んでみたりできるけど、ゼリーの時は難しい。

流されるし溶けるし小石でも怪我をする。わかってるのについ見てしまって、結局傷だらけになって落ち込む。

twitterは面白い。知人友人だけをフォローしていた前のアカウントを消して、リアルの友人をほとんどフォローしないアカウントを作ったのが2012.4.25…って今確認して驚いたんだけど今日で丸1年じゃないですか。

(そして昨日の夜5000ツイート突破…区切りもいいし潮時なのかもなあ。)

まあその1年の間にフォロワーさんも200を越え、流れてくる呟きには色んな事を考えさせられました。

想像もできない他人の生活を垣間見たり、思いもよらない感じ方に驚いたり、納得いかない発言だってたくさんあった。

私はそういう雑多で、でも書き手にとっては真実に近いような、数えきれないほどの言葉から考えるきっかけをもらっていたのだと思う。

(少なくとも私は、本音を呟いていそうな方々をフォローしていたので。)

私の投稿の内容は、「日々の暮らし」と「考えを整理するための手がかり」の二つがメインだった。

何故自分の考えを整理するのにSNSを使うのか。私にも判然としない。だけど、誰かが読んでくれているという前提は考え事をするのに役立つらしい。

(私は元々話し相手がいないと考えがまとまらないタイプで、しかし私の前後したり飛躍したり回ったりする思考をそのまま長々と黙って聞いてくれる人なんていないし、むしろ話している内に申し訳なくなって卑屈になってしまう。)

それから「お気に入り」というシステム。私は世間的に「言わない方がいいだろうこと」を思い切って投稿することがままあって、それに幾つか「お気に入り」をもらえると、それだけで救われたような気持ちになった。とはいえ「お気に入り」が必ずしも肯定の意味ではないこともわかっているし、「言わない方がいいだろうこと」は人を傷つけることだってある。というか実際あった。

自分もそうなのだけど、少し弱っている時などは関係ない発言も自分を攻撃しているように思える時がある。最初に書いたようなゼリー状の時なら尚更。

それをわかっているのに考えたことを書きたいし書いてしまう。

納得いかない発言を見つけてそれに対して書きたいときなどはどうしたらいい。私は投稿者を攻撃したいわけではなく、その発言自体について考えてそれをまとめたい。

安易に呟いては誰かが傷つく恐れがある。(それに逆に攻撃されたらこわい。)

でも考えたいし書きたい。私にはそれが必要だ。

と思ったのでブログを開設してみました。面倒くさがらないでちゃんと考えを書ける場になればいいと思います。

そして平和に今のアカウントを維持していきたい。ネット上でこんなにも人と関われたのは初めてで、お別れしたくないので。

 

あとゼリーといえば、過去に「グリーンのゼリー」というとても短くて少しエロい話を書いたんだけど、あとから調べてみるとグリーンゼリーは産み分け(女の子)に使うものらしく、それから別件でオカモトのページがヒットしたりで、人間のイメージって面白いなと思いました。ちなみに「グリーンのゼリー」はHPの「PIECE」から読めます。

http://nanameline.jimdo.com/