n n m

斜線のなかみ

ロックンロールじゃ踊れない

 

お湯を飲んでいる。

夕方からダラダラと無為に酒を飲むのをやめて、冷たい飲み物を避けるようにした。

必然的にビール発泡酒は飲まない。寝起きと寝る前はお湯を飲む。日中喉が渇いたら、お湯かお茶か紅茶を飲む。コーヒーは体が受け付けなくなって久しい。

出掛けるときはサーモスにお茶を入れていく。粉末のお茶を熱湯で溶かし、飲みやすいよう少し水も入れておく。

晩酌はいいちこのお湯割り。もしくは常温の赤ワイン。それもたくさんは飲まない。

調子は悪くない。日課のように腹を下していたのがおさまり、毎年9月から感じる足先の冷えもない。酒を飲み過ぎないこと、バイト先まで歩くこと、新しい家の居心地が良いこと。お湯だけの効能ではないと思うけれど、まあ効果はあるようだ。私は胃を良くしたいし代謝をよくしたい。姿勢もよくなりたい。要は健康になりたい。別に病気ってわけではない。

そもそも。

猫背になったのも目が悪くなったのも胃弱になったのも、ぜんぶぜんぶ根暗なロックに傾倒したせいなのだ。

中学〜高校の大事な成長期に前髪を伸ばし必要以上に猫背になりながら本を読み絵を描いた。ガリガリで猫背で前髪の長い、きれいな目をしたバンドマンの男の子たちに憧れた。大学に入ってからは酒を覚え、浴びるように飲んだ。ほぼアル中でやることなすことぶっとんでいる、ロックンロールな人たちに憧れた。

それから数年、私は結婚し、日々料理をし、猫を飼い、植物を育てながら穏やかな暮らしをしている。それでもつい最近までは、もうひとりの自分に引き裂かれるような痛みを常に感じていた。だけど痛みを感じることに安心もしていた。これを失ったとき私は死ぬのだと思っていたからだ。

今は一応落ち着いている。時折不安になって外で酒を飲みまくったりロックンロールに想いを馳せたり、恋に幻想を抱いてみたりする。だけどそれは虚しい。もう過ぎたことなのだ。輝きは戻らない。(私が今死んでも)ああ私は、ロックを必要としない体になってしまった!

そんな風に絶望しつつ、拙いながらも身につけた表現方法を駆使する。一人でいつでもできる。始まりから終わりまで自分でやれる。それが物語を描くことであり、引き裂かれた自分を結晶化して閉じ込めておく場所なのだと思う。

映画をたくさん見れるようになった。分析したい部分がわかった。こうやって自分のことをすごい勢いでブログに書ける。しかも酔っぱらってない!なぜならお湯を飲んでいるから!

ちょっと寝付きは悪くなったけどいいよね。胃が強くなったらまたいっぱいお酒飲もうね、と失った仲間たちに私は語りかけるのでした。