n n m

斜線のなかみ

シェルター

 雨が降っている。窓を叩いている。季節外れで寝ぼけ顔の、巨大な台風が呼んでいる。
 私は誘惑に抗うように、ガラガラと雨戸をしめた。そうするとなんだか温いような重みのある空気が耳から肩の辺りを覆った。私の部屋。閉ざされた空間。シェルター。
 間接照明のオレンジが白い壁を頼りなく照らしている。水槽の中でエアレーションが鳴っている。雨音は遠い。熱を出した時みたいに、全部の輪郭が曖昧だ。音も光も空気も足りない私のシェルター。少しだけ息が苦しくなって少しだけ目眩がする。私はざらざらする壁にもたれかかって、ふうと息を吐く。それからそっと手を伸ばして、棚の上で埃をかぶっている煙草の箱をつまみ上げた。弓矢が描かれた小さな箱。射手座の私が生まれて初めて口にした煙草。私はそれを持ったままクローゼットを開ける。少し湿った懐かしい匂いが鼻先を掠める。奥の方に掛かっている黒いアンゴラのコートをつかまえて引き出す。そのコートのポケットの中には銀色のライターが入っている。私はクローゼットを閉じ、再び壁にもたれながらゆっくりと、手順を確認するように煙草を取り出して火をつけた。苦くて渋くて香ばしくて甘い煙。動かない空気の中で煙は所在無さげに漂いながら薄く拡散されていく。その白っぽい視界の中で去年の冬の風景が8ミリフィルムの映像のように淡い色調で再生される。かさついた手の感触や朝日に照らされた髪の色や肺が痛むくらい冷えた空気や古いセーターの干し草のような匂いや。薄い唇の味や背中の滑らかさや首筋の熱さや閉ざされたまぶたのふちの睫毛の長さや。私の名前を呼ぶ声や。
 煙草の灰が足元に落ちた。強い風がごうと吹いて私がしめた雨戸をやかましく鳴らした。煙はいつの間にか消えていた。