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斜線のなかみ

さよならKENWOOD

CDコンポの購入を検討している。

私はわりと音楽が好きな人間だと思うのだけど、それなら何故コンポを持っていないのか。

4年ほど前、私は婚約者と同居するために当時1人暮らししていた部屋を引き払った。その頃の私は物を持つのが嫌で、嫌というよりなんだか怖くて、なるべく所持しないようにしていた。要らないものはすぐに捨てる主義だった。

引っ越しの当日、私は知人に冷蔵庫と電子レンジを譲り、貰い手のなかったコンポを捨てた。それは高校生の頃、新しいコンポを買った両親から譲り受けたもので、たしかKENWOOD製で、CDとMDとラジオが聴けるものだった。電源を入れると小さな画面から「HELLO!」と挨拶してくれるカワイイやつだった。

高校の頃から大学卒業まで不調もなく、上京して一人暮らしを初めても活躍は続いていた。高3の頃はたしか死ぬ程THE BACKHORNを聴いていた。大学時代はゆらゆら帝国とBLANKY JET CITY。ゆら帝のアルバム『3×3×3』を初めてかけた時、あまりに音がでかくてかっこよくてびっくりして慌てて停止ボタンを押して深呼吸したことなんか思い出す。一人暮らしを始めてからは毎朝5時に起きてandymoriの1stを流しながらコーヒーを2杯飲んで仕事に行っていた。

こうやって思い返してみると色んな思い出がある。しかしその当時の私は、そういう、「思い」みたいなものにがんじがらめにされるのが怖かった。

婚約者はCDを山のように持っているし私より音楽が好きだろう。だから当然気軽にCDを聴ける機械を持っているはずだ。広くもない家にプレイヤーは2つもいらない。思い出の面はシャットアウトして私はコンポを捨てた。

ついでに持っていたMDも全部捨てた。これからMDは廃れる一方だろうし持っていても聴かないだろうって。MDにだってたくさん思い出がある。毎週レンタルショップに通ってCDを借りては録音した。片思いしていた人にもらった宝物のようなディスクもあった。私はそれらも全て捨てた。思い出や過去の自分は常に捨てていかなければならないと、強迫観念的に思っていたからだ。

大概のものは目の前から消えたら忘れることができる私だけど、コンポとMDだけは4年が経過しようとしている今でも後悔している。

まず引っ越してみてわかったのが、婚約者が気軽に使えるCDプレイヤーを持っていなかったこと。CDJとアンプやら何やらが繋がれていて、音質は良いのだけど私にはどうしても使いこなせなかった。言われた通りにやっているのに何度試しても音が鳴らない。

私は自由にCDを聴けなくなった。iTunesじゃダメなのだ。パソコンで流すと何故だか憂鬱な気分になる。鮮烈な思い出ではなく鬱々とした日々を思い出してしまう。イヤホンやヘッドホンだとすぐに耳が痛くなる。

ほどなくして地デジ化の影響でテレビを買い替えることになり、ブルーレイドライブ搭載のものを購入した。それはCDも読み込んでくれたから私はテレビでCDを聴くようになった。それでも読み込みは遅いし、満足はしていなかった。

そして今。

結婚して3年半が経ち、私はまた引っ越しをした。今度はそこそこ広い家だ。自分の部屋も与えられた。今こそ一人で気軽にCDが聴けてそれなりの音質のコンポが欲しい。1万円以上出したくないなーと思いながら検索していたら、amazonに値下げ価格6千円台のものを発見した。評価もまずまず。見た目も好きだし、なによりメーカーはKENWOODだった。

新しいアルバイトの給料日の関係であと1ヶ月は購入できない。それまでこの価格の品が残っているかは疑問だけど、買えたらいいな。また「HELLO!」って言ってくれるかな。